独自路線で織物を掘り下げる工房
織物といえば、アパレルなどファッション的な事をついイメージしてしまいます。実はその技術がそれ以外の分野にも応用されている事はあまり認知されていないと思われます。人とは違う路線で織物と向き合い続けている、岡村織物を訪れました。
一味違う織物工場、岡村織物
【COB】八王子の製造業、工場さんを取材させて頂いております。
【岡村さん】我々はもう、仕事の状態が“工場”というよりは、“工房”ですね。

2代目の岡村清さんにお話を伺いました
【COB】(これはきっと他の工場さんとは一味違う感じだ。とりあえず色々聞いてみよう)
では創業について教えてください。
【岡村さん】創業は昭和5年の4月だっかかな?父は元々八工(八王子工業学校)の助手か何かをやっていて、その後試験所に移って、そっちで働きながら独立しました。反物とか着物関係の織物から始まり、袴地の厚さや風合いがネクタイに適していたことから、戦前はネクタイを作って、それはアメリカに輸出されていました。試験所に勤めていた関係もあって、スズ加工という特殊な技術でやっていたそうです。
戦時中は普通ならば統制令で原料が手に入らず仕事にならないのですが、ウチは政府の指定生産工場ということで、軍服など作っていました。また絹が統制中も、農協を通して特別に、各地の養蚕農家の自家消費分の繭を使った紋付袴や花嫁衣装など、衣装の織物を依頼されていたようです。
【COB】その後はまたネクタイがメインでやってこられたのでしょうか。
【岡村さん】統制解除後からはほとんどネクタイ、今は一般的なものだとネクタイ、ストールがほとんどです。

ネクタイはタグ付けまで一貫してできます
ハイテク織物の世界
【COB】清さんの代から、新しい仕事を手がけるようになったものとかありますか?
【岡村さん】私がやり始めてからすぐではないですが、色んなことを始めました。今でも色々やっているのですが、産業資材とかハイテクものです。代表的なものは、東京オリンピック(1964年(昭和39年))のフェンシグで使用されたメタルジャケットは僕が作ったんですよ。通電のために、金属を織り込むのですが、そのため柔軟性のある金属が必要だったりと、開発に3、4年かかりました。
【COB】え!?金属って織り込めるというか、糸のようになるのですか?細くても針金程度のイメージしかありませんでした。
【岡村さん】その頃から金属をやる知恵がついて、今でいう電子計算機、ああいった記憶装置をこしらえたりしました。ワイヤメモリーというもので、IBMのコアメモリーは出始め、1枚が1平方メートルぐらいあったのですが、私の作ったメモリはハガキ1枚分ぐらいの大きさのプレートでした。
【COB】えっと…織物…ですか?
【岡村さん】織物です。織物で作ったのです!それも10年ぐらい開発にかかったかな?ソ連のアルメニアはエレバンの国営電気工場にプラントの一部として輸出していました。この生産設備については日経新聞にのりました。ウチの工場にもソ連の技術者が実習に来て、面白かったですよ。
※ワイヤメモリーとはビット記憶のための磁性線と、語選択のための絶縁銅線を、縦糸と横糸として布状に織って作られている。第一世代電子計算機の時代、1970(昭和45)年頃にコンピューターの主記憶装置として日本で実用化された。
【COB】織物から全くそういった発想ができませんでした! やはり経済とか世の中の景気でそういった話が来たりしていたのですか?
【岡村さん】いや、人と違うことやっていたので、あんまりガチャ万とか、高度経済成長とかにはのれなかったですよ。これは趣味の延長上みたいなものです。
【COB】普通の織物をやりながら、そういった事をやっていたのですね。 (やはり、普通の織物工場とは何かが違いました。)
工場見学させて頂きました。
【COB】では、工場の方を見学させてください。

ここで色々な開発が行われているのか、とワクワクしてしまいます
【岡村さん】こちらが整経といって、必要な経糸の準備をするところです。使用する糸を決められた幅、配列でドラムに巻きつけていきます。巻きつけたものを織機にセットします。

沢山の糸が、ボビンから機械を通って

ドラムの方に集まっていく
こちらが緯糸の準備です。

織り方によって巻き方を工夫しています
この機械で織るパターン通りに紋紙(パンチカード)に穴をあけて、織機の方にセットします。

この機械では、ドビー織機に使われる紋紙が作られます

こういった図を元に作成されます
【COB】織られている生地、それぞれ特性がありますね。

太い糸を使ったものもあれば

細かい目のものも
【岡村さん】小ロットで、作る量もバラバラです。
【COB】こういった細かい、絵画のようなものも出来るのですね!

サンプル品。模様ではなく、絵が織られています
【岡村さん】そう、展示会でそういったものに興味を持ったお客さんが、自分の好きな写真で依頼されることもありますよ。
さらに、ここが驚き!ポイント
【岡村さん】ウチは始めから機械です。ジャガード機は、おそらく八王子では一番早く取り入れています。イマダジャガードという八王子の製造メーカーと、父が試験所の関係で協力して開発し、その一号機をテストでウチに入れたのが最初だと思います。

現在使用されている織機も、古いものは昭和30年代初頭のもの(写真はドビー+シャトル機)
【COB】ファッションデザイナーからの依頼などもあるのでしょうか?
【岡村さん】元々デザイナーの付き合いも多くて、一時アパレルを誰もやってない時に、パリコレに出すものもやっていました。TD6(東京デザイナーの集い6人会)っていうのがあったのだけど、そういう人たちがしょっちゅう出入りして試作していました。
【COB】楽しそうですね!
【岡村さん】楽しいですよ! お話したような試作や開発は現在進行中のものもあります。マル秘のものがかなり多くて、説明できないものばかりですが。
【COB】今後の動向が楽しみです!
新しいこと、面白いことに挑戦する事が伝統になっているという歌舞伎のような印象、岡村織物は工場というより工房、まさにその言葉が適切な、新しい織物が生まれる場でした。
岡村織物
東京都 八王子市中野上町1-16-12
TEL 042-622-1706